田中皎一氏 創立者
略歴
田中皎一氏は10歳の時、病気のため聴覚障害となりましたが、自身の障害を乗り越え、聴覚障害児の教育を志し、昭和28年4月新得町に北海道唯一の聴覚障害者施設北海道身体障害者授産所(現社会福祉法人厚生協会身体障害者授産施設わかふじ寮)を創設し、北海道内の聴覚障害者福祉の向上に心血を注ぎました。
また、施設福祉に貢献するかたわら、社団法人北海道ろうあ連盟の連盟長を長年努めるなど北海道の障害者運動にも多くの功績を残しました。
氏は、障害を持ちながらも、温厚で明るく、責任感旺盛にして卓抜なる見識とリーダーシップをもって仕事に取り組み、施設のご利用者や北海道の聴覚障害者からは父のように慕われておりました。
功績
社会福祉法人厚生協会理事長としての功績
田中皎一氏は、昭和26年20月から、北海道聾唖農志塾家庭園の児童指導員として勤務し、当時の聴覚障害者の社会的自立が困難なことに心を痛め、意を同じくする藤川マキヱ氏とともに 昭和28年4月私財を投げうった田村政雄氏の協力をえて、新得町に当時北海道唯一の聴覚障害者施設北海道身体障害者授産所を設立いたしました。
以来一貫して自らと同じ障害を持っ聴覚障害者の社会的自立のための福祉事業にたずさわり、多大な貢献をいたしました。
その後藤川氏と手をたずさえて社会福祉法人厚生協会の組織造りに奔走し、昭和30年12月に社会福祉法人の認可をうけ、施設の名称を身体障害者授産施設わかふじ寮とし、自らも寮次長に就任し、寮生と寝食をともにしながら木工家具製作を指導し、現在までに約150名の聴覚障害者を社会に送りだしました。
さらに昭和56年4月、当時全国で2か所目となる聴覚障害者養護老人ホームの初代施設長となり、昭和60年1月には社会福祉法人厚生協会理事長に就任いたしました。
平成2年4月、やすらぎ荘ご利用者の障害の重度化と地域社会の要望により、特別養護老人ホーム新得やすらぎ荘と在宅老人日帰りサービスセンターを創設し、新得町における高齢者福祉及び在宅福祉の基礎づくりを図りました。
また平成7年4月、顧問に就任してからも施設ご利用者の障害の重度化・重複化や社会情勢の変化に合わせて平成8年4月、新たに重度身体障害者授産施設第2わかふじ寮を設立し、平成12年4月には重度身体障害者療護施設屈足わかふじ園創設の基礎をつくりました。
履歴
学歴等
昭和 | 18年 | 3月 | 31日 | 北海道砂川市富平青年学校本科5年卒業 |
昭和 | 21年 | 8月 | 12日 | 文部省主催特殊教育教員教習会終了 |
昭和 | 24年 | 8月 | 10日 | 聾学校教員資格取得 |
官公庁関係
昭和 | 23年 | 10月 | 1日 | 北海道立北海道御影聾学校助教諭 |
昭和 | 25年 | 10月 | 1日 | 北海道立北海道帯広聾学校助教諭 |
昭和 | 62年 | 4月 | 4日 | 身体障害者相談員 |
民間関係
昭和 | 21年 | 8月 | 1日 | 私立札幌ろうあ学校教員 |
昭和 | 26年 | 10月 | 1日 | 北海道聾唖農志塾家庭園児童指導員 |
昭和 | 28年 | 4月 | 1日 | 新得町内に北海道身体障害者授産所を創設 |
昭和 | 30年 | 8月 | 4日 | 十勝聴力障害者協会会長 |
昭和 | 39年 | 5月 | 5日 | 財団法人北海道ろうあ連盟連盟長 |
昭和 | 44年 | 3月 | 8日 | 社団法人北海道ろうあ連盟連盟長 |
昭和 | 56年 | 4月 | 1日 | 社会福祉法人厚生協会聴覚障害者養護老人ホームやすらぎ荘施設長 |
昭和 | 60年 | 1月 | 13日 | 社会福祉法人厚生協会理事長 社会福祉法人厚生協会身体障害者授産施設わかふじ寮施設長 |
平成 | 3年 | 4月 | 21日 | 社団法人北海道ろうあ連盟名誉連盟長 |
平成 | 7年 | 4月 | 1日 | 社会福祉法人厚生協会顧問 |
賞罰関係
昭和 | 37年 | 11月 | 3日 | 新得町文化奨励賞 |
昭和 | 52年 | 10月 | 27日 | 全国授産施設協議会長賞表彰 |
昭和 | 53年 | 8月 | 10日 | 北海道社会貢献賞(業務従事者) |
昭和 | 54年 | 11月 | 2日 | 厚生大臣表彰(身体障害者福祉事業功労者) |
昭和 | 56年 | 8月 | 27日 | 北海道社会福祉協議会会長表彰 |
昭和 | 56年 | 8月 | 27日 | 全国授産施設協議会長賞表彰 |
昭和 | 57年 | 4月 | 27日 | 全日本ろうあ連盟厚生文化賞 |
昭和 | 63年 | 2月 | 2日 | 朝日新聞社朝日社会福祉賞 |
平成 | 2年 | 10月 | 9日 | 日本顕章会福祉賞 |