藤川マキヱ氏 創立者
略歴
終戦により北海道引き上げ、一時は喜茂別で裁縫教習所を開いたり、新十津川高等学校で教鞭をとっておりましたが、そのころから福祉の情熱が芽生え、御影村にある社会福祉法人御影学園の職員として奉職し、そこで田中皎一氏の聴覚障害者の社会的自立に意を同じくし、共に新得町に北海道身体障害者授産所を創設しました。
氏は聴覚障害者の福祉向上に心血を注ぎ、ご利用者から母のように慕われておりました。
功績
身体障害者ろうあ者授産施設所長としての功績
昭和28年4月新得町に移転し私財を投じ、身体障害者ろうあ者授産施設を創設するとともに、収容施設わかふじ寮を併設、初代所長に就任し道内各地より20余名のろうあ者を収容、木工指導に献身された。
社会福祉法人厚生協会常務理事兼施設長としての功績
昭和30年12月社会福祉法人厚生協会の設立認可を受け、常務理事兼施設長に就任、木工指導室や機械の設備等之が資金の調達に東奔西走し、その熱意は、地域社会を動かし、昭和33年8月木工指導室を建設、木工機械も整備、続いて昭和35年には収容施設わかふじ寮を新築、授産並びに収容施設としての形態を整えるに至った。
社会福祉法人厚生協会理事長兼施設長としての功績
昭和35年8月理事長兼施設長に就任、入寮希望者の増加に伴い管理棟の建設を始め、木工指導室及び機械設備の拡充整備等に狂奔し、昭和38年6月収容定員を50名に増員、昭和44年には定員70名に増加し、さらに昭和51年には95名に増員、ろうあ者と寝食を共にし、更生指導に余生を捧げ、木工技術者として多数のろうあ者を社会に巣立たせるに至った。
昭和56年4月全国で2番目に入所定員50名の聴覚障害者養護老人ホームやすらぎ荘を開設し、入所者に物心両面から温かい愛情をも。て介護につとめ、楽しく生きがいをもった施設運営に尽された。
履歴
学歴等
大正 | 5年 | 3月 | 23日 | 神奈川県善通寺高等女学校卒業 |
大正 | 6年 | 3月 | 20日 | ドレスメーカー女学院師範科卒業 |
官公庁関係
昭和 | 18年 | 12月 | 1日 | 樺太地方裁判所人事調停委員 |
昭和 | 20年 | 4月 | 1日 | 樺太裁縫補導所所長兼豊原保育園長 |
民間関係歴
大正 | 15年 | 9月 | 1日 | 樺太豊原市において私立藤川実践高等女子校設置、開校校長 |
昭和 | 23年 | 4月 | 1日 | 北海道喜茂別村において裁縫教習所開設 |
昭和 | 25年 | 6月 | 1日 | 北海道御影村北海道ろうあ農志塾家庭園主任指導員 |
昭和 | 27年 | 5月 | 10日 | 北海道御影村北海道ろうあ農志塾家庭園は社会福祉法人御影学園として設立許可を受け主任指導員 |
昭和 | 28年 | 4月 | 1日 | 北海道新得町において身体障害者授産所創設、初代所長 |
昭和 | 30年 | 12月 | 2日 | 身体障害者授産所施設は社会福祉法人厚生協会として設立許可を受け常務理事兼施設長 |
昭和 | 35年 | 8月 | 2日 | 社会福祉法人厚生協会理事長兼施設長 |
賞罰関係
昭和 | 15年 | 10月 | 10日 | 賞勲局総裁表彰(教育功労) |
昭和 | 34年 | 4月 | 21日 | 北海道知事表彰(更生援護功労) |
昭和 | 35年 | 4月 | 22日 | 厚生大臣表彰(社会福祉功労) |
昭和 | 37年 | 11月 | 3日 | 新得文化賞受賞 |
昭和 | 46年 | 4月 | 29日 | 勲5等瑞宝章授与 |
昭和 | 57年 | 9月 | 7日 | 新得町名誉町民称号授与 |